将来は‥、蚊、夕焼け‥

福山市

育英ポートワシントン校
華盛頓港中学一年新聞☆中学部通信から     
平成19年(2007)10月15日(月)号


生徒作品
紹介文を書く 二年 SH

 僕の名前はSH、神奈川県横浜市出身です。育英には四年います。好きなスポーツは、テニス・サッカー・バスケです。好きな食べ物は、ぎょうざ・ラーメン・カレー・しゅううまい・ハンバーグです・将来はテニス選手かバスケ選手に、できたらなりたいです。


夏の詩 一年 MS  

蚊にさされた、
これぞ日本の夏
蒸し暑い、
これぞ日本の夏
セミが「ミンミン」ないている、
これぞ日本の夏
夏ばて予防にひやじるを食べる、
これぞ日本の夏

やっぱりこれが日本の夏



夏の俳句 三年 ○○ 
 青い海 夕焼け色に 染まりゆく



日本の思い出 一年 KY  

 長かった夏もそろそろ終わりです。今年の夏、日本に一時帰国しました。
 日本には一か月ぐらいいました。最初は静岡県、神奈川県、新潟県、千葉県、そして最後に東京に行きました。日本に行ってとても楽しかったですが、一番楽しかったのは従兄弟たちに会ったことです。僕は六人、従兄弟がいて、日本で全員と会っています。
 神奈川県で、まず二人に会いました。神奈川県にはお父さんの方の叔父さんと従兄弟が二人います。3歳のあおいと一歳の夏南子です。夏南子は最後まで慣れませんでした。初日はお父さんの顔を見ただけで泣きました。なぜか、僕だけに慣れました。自分からヨチヨチと歩いて来てくれました。お母さんとお父さんはうらやましそうでした。夏南子は、レモンやシャーベットをなめさせてやると、ものすごい顔をし頭をぶんぶん振ります。学習能力がないのか、もう一回差し出すと、またなめて頭をぶんぶん振ります。もう一つ面白かったのは、なく時に最初は声を上げずに顔だけで泣いて、耐えられなくなったのか急に声を上げて泣き出します。
 あおいを構っている時はとても疲れました。耳をかまれたり、首を絞められたり、物で叩かれたり、もう散々でした。ご飯などを食べていると、ひざの上に乗り邪魔をしました。でも、行く所行く所ついてきて、かわいかったです。
 新潟県で、また二人の従兄弟に会いました。大学二年生の聖生君と高校二年生の拓生君とです。聖生君と拓生君とにはたくさん遊んでもらいました。チョロQで遊んだり、ゲームをしたり。それから聖生君は車を持っているので、ゲーセンや電気屋などに行ったりもしました。
 僕たちは新潟県長岡市にいたので、余震があるか、とても心配でしたが、実際に地震があったのは市内でも南の方なので、全く揺れませんでした。聖生君はその地震で被害にあった人たちのために、駅前などで募金をしていました。僕も行こうと思ったのですが、途中で抜けるというので別行動はさすがに心細いので、拓生君と伯父さんと伯母さんと一緒に、葬儀ミサに出ました。その時、初めて人間の死体を見ました。葬儀ミサは一時間半ぐらいやり、やっと帰れると思ったら、後片付けを手伝いました。
 僕たちが長岡を出発する前の晩、長岡花火大会がありました。とてもきれいでしたけど、特に最後に上がった「フェニックス」という花火がすごかったです。「フェニックス」は中越地震以降あげている花火で、「自分たちはこんなことでへこたれない。何度でも生き返る。」という意味が込められています。「フェニックス」は三尺玉が横並びにおよそ七個、ボカボカ上がりました。とてもきれいで、長岡でしか見られない花火です。
 日本に一時帰国して、他の従兄弟にも会いましたが、しつこいあおいと夏南子、それから聖生君と拓生君の四人と会って遊んだ時のことが特に心に残りました。

長岡花火大会のフェニックス


僕の夏休み 三年 MY
 この夏休みの間、僕は近所の図書館で初めてボランティアをしました。月曜日・木曜日・金曜日は午後一時から八時まで、火曜日と水曜日は一時から六時まで、つまり毎日です。一時ぐらいに行って、本の並べ替えやビデオの並び替えをします。これは簡単な仕事ですが、とても面倒です。
 なぜ図書館のボランティアをやることになったかというと、僕の友達が三人ともやっているからです。最初は、友達と一緒にいたいと、ついて行ったのが始まりです。彼らの仕事を見ているうちに、僕にも出来そうに思えました。
仕事が終わった後は、空いている部屋で友達と話をしたり、ゲームをやります。借りる人があまりいない日は友達とチェスやチェッカースをやります。時々、図書館の人がアイスクリームをくれます。そして、「ありがとう。とても助かったわ。」と言ってくれます。僕はとてもうれしかったです。人に感謝されることは気持ちがいいものだなあ、と思いました。
 もうすぐ、学校が始まります。学校が始まってもボランティアを続けたいと思っています。
(絵は福山市