宝発見

4travel.jp

育英ポートワシントン校
華盛頓港中学一年新聞☆中学部通信から
平成19年(2007)10月22日(月)号


夏休み
自然を家族と楽しんだ夏 三年 SK
 今年の夏は、中学生最後の夏でした。望んでいた以上に思い出深い夏休みとなりました。七月中旬から三週間、毎日、サマーキャンプに行ったり、海でボディーボードで遊んだり、動物園で弟の誕生日を祝ったり、色々な事をして夏を楽しみました。
 中でも特に心に残っているのは、家族で行ったナイアガラと、二泊三日のキャンプです。どちらも夏休みだからこそ、時間に余裕をもて行けたのだと思います。
 ナイアガラの滝は、アメリカとカナダ、どちらからも見ました。最初に見た時は、、あまりの膨大さと美しさに息を呑みました。私の家族も同様に、しばらく見とれていました。自然が生み出した美しさというのは、とても感動的でした。船に乗って滝のすぐ近くまで行った時は、皆びしょ濡れでした。冷たかったけれど、自然の強さなどを実感できて、だんだかとても気持ちが良かったです。「滝の裏側」では、滝の長い歴史や川すべりで亡くなった人達の話も知りました。カナダに行ったのも初めてだったので、この旅全てが刺激的でした。
 私はキャンプは前に一度しかしたことがなかったけれど、とても楽しかった事を覚えていました。なので、今回のキャンプも楽しみでした。
 キャンプ場は高い木に囲まれていて、暑さをあまり感じませんでした。テントを組み立てている時は、約二日間ここでキャンプをする事に、わくわくしていました。薪が無かったので、キャンプ場にあった木の枝をたくさん集めて、火をおこしました。キャンプではその場にある物を活かして楽しむ事が大事なのだと学びました。夜になると真っ暗だったので、いつもと違う夜がとても新鮮でした。蛙の声が一晩中鳴り響いていたけれど、疲れていたのですぐに眠りにつくことが出来ました。次の日は釣りに行ったり、散歩したり、ゆっくり過ごしました。木々の間から見えた夕日と茜色の空は、言葉を失う程綺麗で、幻想的なものでした。
 ナイアガラの旅も、キャンプも、家族で自然を楽しむのは久しぶりでした。この美しい自然は最近危機にさらされています。地球の「宝」ともいえる自然を、守っていかなければいけないと考えさせられた夏でした。(写真は4travel.jp)


二〇〇七年夏の詩 一年 RN

ミ〜ン ミ〜ン ミ〜ン
せみの声聞くだけで
扇風機
でも弱にする
具合が悪くなるから

あははっこのテレビ面白い!
夏の夜は毎日遅く寝る
次の朝、何時に起きても平気
学校がある日はのんびりできない
夏休みの特権だ


 一年 SN
 僕は夏休み、一時帰国し。日本へ帰りました。僕が日本へ帰国したのは六月。アメリカでは半そでだったけど、「日本は今、寒いかな。」と思いましたが、とても暑くて、「今は、六月でこんな暑さだったら、八月には何度になるんだ。」「八月には経験した事も無い暑さになるかもしれない。」こう思った時に‥。
 そして八月になった時には、埼玉県と岐阜県で今までの最高気温の四十点九度に達しました。千九百三十三年の四十点八度を七十四年ぶりに更新しました。東京や神奈川も暑かったけれど、なぜ、埼玉と岐阜で温度が上がったの気になって、調べてみました。東京はアスファルトの熱と海から運ばれて来る熱で暑くなっているようです。埼玉や岐阜は、燃やした石油等の熱が埼玉や岐阜へ行ってしまうため、温度が上がることが分かりました。僕は暑さでぼおっとしていて、塾や通信教育や夏休みの宿題が大変になりました。もうあんなに暑い夏は経験したくないです。
 もう一つ、僕が夏休みに経験したのはゴルフです。僕はゴルフに全く興味がありませんでした。テレビ等で少し見ても、「つまんなさそうでな。」と思うだけでした。運動は好きだけれど、ゴルフは全然動かなくて、「けっこう簡単そう。」と思っていました。母がゴルフをやると言ってから、少しして、突然やる気が出て、やってみました。父に教えてもらうと、父は突然、人が変わったみたいにいろいろと注意してきました。フォームを教えてもらうと、いろいろ注意することがあって大変でした。それから数日して、ゴルフの打ちっ放しに行きました。僕は母より飛んだけど、当んなかったり、右へそれたり、うまくいっても百ヤードぐらいでした。最初は、ゴルフはつまらないものと決め付けて、やっていませんでしたが、やってみたら、とても面白かったので、今度からはそういう意識を持っていきたいな、と思いました。
  



作品
無題 三年 TY   
さわやかな
風の中で
サイクリング
祖母といっしょに
笑顔で走る

紹介文 二年 YK

 私の名前はYKです。ニューヨークで生まれたのでこのような名前になりました。日本では横浜に住み、それなりの学校にも通い、ごく平凡な毎日を送っていたある日、近くのそば屋でニューヨーク行きを伝えられました。