マーキュリー宇宙船

 先週、遠足で行ったニューヨーク科学館内に、まっ黒な円錐形の宇宙船があったのに気がつきましたか。宇宙船に気がつかなくても、外にあった大きなロケットは目に入ったと思います。宇宙船は、あのロケットの上についていたマーキュリー宇宙船(Mercury spacecraft)です。
 冷戦時代の宇宙開発では、人工衛星でも有人宇宙船でもソ連(ロシア)の方がアメリカより一歩先に成功してしまいました。おくれをとったアメリカはマーキュリー計画を早めて、昭和37年(1962)、初めて人の乗る「マーキュリー宇宙船」を地球を回る軌道(きどう)に乗せました。この歴史的な飛行を記録するために、国立航空宇宙局(NASA)では世界中のカメラを調べて、日本の「ミノルタハイマチック」(写真下)を宇宙飛行士に持たせました。操作が簡単で必ず写る、という基準で選んだのだそうです。
 飛行機に乗って下を見ると、地上の様子が一目で分かります。大正3年(1914)から始まった第一次世界大戦では、生まれたばかりの飛行機が活躍し、戦場や敵の様子を空から見ることが飛行機の大きな役割になりました。日本でも同盟国のイギリスにこたえて、ドイツの基地がある青島(チンタオ)と膠州湾(こうしゅうわん)を空から偵察(ていさつ)し、攻撃しました。それ以来、見た物を記録するカメラと飛行機を組み合わせた偵察機が日本で独自の発達をし、第二次世界大戦のころには世界最高の性能をもつ写真偵察機が生まれました。
 日本の飛行機は第二次世界大戦後、アメリカによって製作が制限されて、下請(したう)けのようなことしかさせてもらえない時代が長く続いています。カメラの方は制限が無かったので順調に発達し、マーキュリー計画のころには世界に認められるようにまでなっていたのです。
 カメラと飛行機の歴史をちょっと見ただけでも、続けることの大切さが分かります。運動会と遠足という秋の行事が終わり、今日から普通の土曜日にもどります。みんなの勉強も、日本のカメラのように、中断せずに続けてほしいと思います。

<保護者の皆様へ>
個人面談開始のお知らせ
 本日、若木をお配りしました。ご家庭での学習等の参考にされてください。
 また、先日お知らせさせていただきましたとおり、個人面談を開始いたします。この機会に学習、学校生活に関する質問などにお答えできればと思っておりますので、ぜひ足をお運び下さい。また、個人面談はご予定のあわない場合、指定日以外でもご希望の日程で行いますので、その際は担任、または教科担当までお知らせ下さい。


運動会の写真から
(省略)

(絵はNick Proach Models製の模型"Mercury spacecraft")


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