青い目の人形


 昭和2年(1927)3月3日、東京の日本青年館で、空前の「ひなまつり」が催(もよお)されました。この日のために、アメリカの子供たち270万人から贈られた1万2739体の「青い目の人形」の歓迎会でした。当時、日本とアメリカとは政治的に険悪になっていましたが、何とかしなければというアメリカの宣教師シドニー=ギューリック師の提案に「日本資本主義の父」渋沢栄一氏が応えたものでした。
 日本からは「お返し」として、全国の女子生徒260万人から「一銭募金」が集まり、「答礼人形」58体が作られました。身長62センチの美しい市松人形は「ミス日本」と各道府県・地域・六大都市の名が付けられ、日本の子供たちの手紙などとともにニューヨークの世界児童親善会を通じて、全米に送られました。日米親善を願う人形は双方で大歓迎されましたが、願いむなしく日米は戦争になってしまいました。
 青い目の人形は戦災等で多くが失われましたが、現在270体が小学校などで確認されています。戦災のなかった答礼人形は現在44体が確認されています。人形の発見・確認は修復里帰りなど、新たな草の根の交流活動を生んで、託(たく)された使命を果たしています。
 ニューヨーク州に贈られた「ミス青森」はローチェスター博物館にありますが、ニューヨーク市に贈られたはずの「ミス東京市」はまだ確認されていません。心あたりの方、いませんか。
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<今日の学習と宿題>
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