ワカタケル大王


 メモリアルデー(戦没将兵追悼日)に大統領が花をささげるアーリントンの無名戦士の墓。南北戦争以来の各戦争から身元の知れない遺体を1体ずつ、歴代戦死者の代表として埋葬しています。はっきりしていて、「死んだ人のたましい」や「霊魂」などという目に見えない物の入る隙(すき)がありません。
 ところが、日本の歴史は分からないことだらけです。授業では、日本にようやく国らしきものができるところまで来ました。『魏志』の『倭人伝』には「邪馬台国」の女王「卑弥呼」が出てきますが、この「邪馬台国」がどこにあったかという論争、いまだに結論が出ていません。
 教科書では、卑弥呼のあと、『後漢書』に「倭王」の「武」と書かれたワカタケル大王(おおきみ)(雄略天皇)が大活躍します。熊本県と埼玉県から出土した「ワカタケル大王」と読める文字のある鉄剣が大きな写真で紹介され、国の勢力がすでに九州から東日本まで及んでいたことを勉強しました。ワカタケル大王は、吉備(きび)、播磨(はりま)、伊勢(いせ)を討伐し、国外でも、高句麗を破って新羅と戦いました。また、中国の「宋」に使いを送って、「安東大将軍」の称号をもらって、東アジアでの地位を確立しようとします。
 こんなに大活躍の有名人、しかも国を代表する重要人物のはずなのに生没年は「420〜480ごろ」。早い話が、分からないのです。ほかの人は「推して知るべし」。はっきりしないことだらけで、みなさんが新発見をする可能性さえあります。
 ワカタケル大王 上 (文春文庫)


<今日の学習と宿題>
(省略)

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