天正少年使節

 旧暦の天正10年(1582)正月、13・14歳の少年4人が長崎からリスボンに旅立ちました。ザビエル以来、日本で布教を進めていたイエズス会の、ヴァリニャーノ巡察使の新企画でした。少年たちはローマなどでいろいろなことを学び、ローマ教皇にも会いました。そして、その賢さとまじめな態度は、当時の日本に対する見方に大きな影響を与えたといわれます。
 ヴァリニャーノは、日本に来る宣教師にも、日本文化と日本語を理解するように求め、「日本の風習と流儀に関する注意と助言」という本も書きました。少年たちが日本にもどる時、ヴァリニャーノも2度目の来日をし、活版印刷機を持って来ました。
 ヨーロッパ文学の翻訳第1号として知られる「イソップ物語(天草版)」(写真上)は、この印刷機で刷られた日本語学習書です。イソップの話は江戸時代に入ってからも出版され、「うさぎとかめ」などは日本の話のようになじみ深いものになりました。今に残る、ロドリゲス(野球選手ではない)の「日本語文典」も、3万2千語を収めた「日葡辞書」も、フロイスの「日本史」もこのころのものです。
 富をもとめて世界中に乗り出していったヨーロッパ人と、古い秩序がくずれて時代が変わろうとしていた日本人が出会った16世紀、お互い、相手の事を知ろうと、文字どおり、懸命に勉強した人たちがいました。その姿が文化を越えた感動を呼び、歴史を作っていったようにも思えます。毎日、多文化の中で格闘している育英のみんなのように‥。
イソップ物語 (こども世界名作童話)


<今日の学習と宿題>
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