復習、高峰譲吉

 来週から夏休みですが、今日(㋅㏽)は全校生が参加しての「夏の集い」があります。集いのすいか割りでは学年を超えた班を作って対戦します。夏の集いは、幼稚園から中学まで一緒に勉強している学校のよさを生かした特別活動です。
 1学期をふり返ると、保護者懇談会のあった5月19日、中一から中三までが一つの教室に集まり、「高峰譲吉」の勉強をする特別活動がありました。

 高峰譲吉は、はじめ医者を目指しましたが、「化学」にふれ、「一人の人間を助けるより、世界中の人を助けられる」化学の道を歩みました。シカゴ万博で燐(りん)鉱石に目をつけ、化学肥料を作る会社を作りました。また、お酒の元になる米麹(こめこうじ)からウィスキーを作る画期的な方法を発明し、それがきっかけでアメリカに渡りました。ウィスキー製造はアメリカ中のウィスキーモルト屋から反対され挫折します。ところが、この時発見した「ジアスターゼ」が画期的な消化薬となり、続いて「アドレナリン」を副腎髄質(ふくじんずいしつ)から抽出しました。医学・化学で今や常識となっている「ホルモン」の発見です。これで世界中の人が救われ、事業も成功しました。
 今も日本人がアメリカで生活することは簡単なことではありません。競争社会のアメリカでビジネスで成功することはもっと難しいことです。そして、その成功を日本人の地位向上、日米の親善のためにつくした人が高峰譲吉でした。政界や財界の人と交流し、ニューヨークの日本クラブやジャパンソサエティーもその創立にたずさわりました。毎年花を咲かせるワシントンの桜並木も、ニューヨークのサクラパークの桜も高峰譲吉の努力がなければ、もっと小さなもので終わったかもしれません。

 あとで提出されたみんなのレポートでは、高峰譲吉の生き方に感銘したようすがいきいきと書かれていました。これからもこんな機会を持ちたいと思います。


(付録)
 昨年(2006)4月、「アドレナリン」という高峰譲吉がつけた名前がはじめて日本の医薬品として、認められました。ヨーロッパでは最初から、高峰譲吉に敬意を表して「アドレナリン」という名前を100年以上も使っているのに、日本の医学会では「エビネフリン」という、アメリカ人だけが呼ぶ名前で呼んでいたのです。おどろきました。
日本科学の先駆者 高峰譲吉―アドレナリン発見物語 (岩波ジュニア新書)

6月30日の時間割
 12時50分‥移動の準備
 1時‥  夏の集い開始
 2時10分‥午後の授業
 (写真は6月30日に行われた西瓜割り)