石見銀山

 毎日、暑いですが、元気にすごしていますか。こんな暑い日、母はよく、「水銀柱が上がる」と言っていました。水銀柱というのは、ガラス管に水銀の入った温度計です。水銀は猛毒(もうどく)で、かつては「石見銀山」(いわみぎんざん)ともいいました。時代劇で、「石見銀山をもる」と言えば、「毒を飲ませて殺す」という意味でした。
 その「石見銀山」が6月末、世界遺産に認められました。「石見」は島根県の西部の旧国名でしたね。石見銀山島根県太田市にあった日本一の銀鉱山の名前です。安土桃山時代から江戸時代の初めまで、日本の銀は、世界の3分の1を産出し、世界経済のしくみを変えてしまうほどでした。銀の生産量だけなら、外国にもたくさんの銀山がありますが、石見銀山は、産出していた時の町や山がそのまま残っているのが世界的にも価値があるのです。鉱山は、効率のよい掘り方で山の形も変わり、自然環境が破壊されるのが普通です。ところが、石見銀山は人力による古い掘りかたを続けてきたので、自然が破壊されることなく、長く掘り続けられたのです。
 そこで、日本は世界遺産に推薦(すいせん)しましたが、国連教育科学文化機関(UNESCO)に「登録延期」にされました。「だめだ」というわけです。それから、地元はもちろん、国の外務省、文化庁などが説明に奔走(ほんそう)し、ねばり強く説得し、今回の登録になりました。
 僕は、いったんだめになったものを、誤解を解き、事実を分からせ、ついに世界的に認定されるまで、関係の方が努力されたということも、世界遺産として価値があり、かたりつぐべきことだと思います。国際社会に生きていかなくてはならない日本人に、勇気と希望を与えてくれました。
(写真は石見銀山のうち公開されている龍源寺間歩四ツ留)


<夏休みの宿題>
(省略)