文化の日

 平成の前は昭和、昭和の前は大正、大正の前は明治でした。明治は45年あり、最後の将軍、徳川慶喜が「大政を奉還」した1867年に明治の年をたすと西暦になります。
 日本とアメリカの出会いは、ペリーのひきいる4せきの戦艦隊が江戸湾に押しよせて大砲を撃(う)ったのがはじまりでした。つぎの年に日本は開港し、それから4年後の1858年には日米修好通商条約が結ばれました。ところが、この条約はアメリカに有利で、日本に不利な不平等条約でした。当時、多くの国が西洋の強国の力でつぎつぎと国や領土を失っていました。不平等条約だけで済んだのには、当時の日本人の血のにじむ努力があったからですが、明治はその時代の全部、45年をかけて、さらに多くの血も流して、やっと不平等条約を改正してもらいました。
 国民の暮らしも大きく変わり、何百年もみんな結(ゆ)っていた「ちょんまげ」を切らされるなど、それまでの文化が否定され、西洋の文化を受け入れなければならなくなりました。それじゃ今までの生活はどうなるんだ?、どうやって新しい文化を受け入れたらいいんだ?‥と、一部の人だけではなく、国のすみずみまで文化と向き合いました。「文化」はいろいろな説明がされますが、「長年の間に生活に結びついた、良いと思われていること」という言いかたもできるでしょうか。
 多文化の中で暮らしているみなさんは、人は他の文化と接した時に自分たちの文化に気づくことを知っていますよね。明治時代は、日本人が初めて「文化」にめざめた時でした。それが、きょうの明治天皇(写真)誕生日を「文化の日」という名の記念日にした心だと思います。


<今週の学習と宿題>
 (省略)
 ○科学の授業がありました。