青の洞門

 アメリカで安いのは、日本では有料があたりまえの高速道路の通行料です。ほとんどの道路がただです。ニューヨーク付近でお金を取られるのはマンハッタン周辺の橋やトンネル、またニュージャージーターンパイクなどの一部の道だけです。マンハッタンに入る通行料も、車を制限することに主な目的があるようです。日本では今、「その道、ほんとに要るの?」という有料道路がみんなの税金でつぎつぎに作られる一方、渋滞の解消等、必要なことが遅れている、などといろいろな人が言っています。道路を作るには広い土地が必要ですから、狭い国土で道を見る目はどうしても厳しくなります。
 それでも日本には、必要な道ならば、命に代えてもお金を払って通るという伝統があります。
 大分県と福岡県の間を流れる山国川(やまくにがわ)の上流に耶馬渓(やばけい、写真)というきれいな渓谷があります。耶馬溪の一部は、細い道さえ付けることのできない切り立った崖(がけ)になって、崖づたいに通る人はしばしば転落して、命を落としました。
 徳川吉宗が「享保の改革」を進めているころ、旅の僧の禅海(ぜんかい)が耶馬溪を通りかかると、崖から落ちて死んだ人のためにお経(きょう)をあげてくれと、村の人から頼まれました。禅海は崖を見て、固い岩山をくりぬいて道を作る以外に、死んだ人を弔(とむら)う方法はないと決意しました。そして禅海は狂人と罵(ののし)られながらも、硬い岩に向かって30年間、「のみ」をふるい続けました。やがて手伝う人も現れて、1763年5月22日(旧暦4月10日)、全長342メートルのトンネルが開通しました。トンネルは「青の洞門」と呼ばれ、人々は感謝を込めて通行料を払ったといいます。
 この「青の洞門」を題材にして、菊池寛は、小説『恩讐の彼方に』を書きました。禅海のように、罵られていても一人、正しいことを希望を持って続けている人は、私たちの周りにも必ずいます。君のとなりの人かもしれません。(写真は中津市


夏の庭―The Friends (新潮文庫)
推薦図書
夏の庭』 三年 KS
 この本は三人の小学生の男の子達の物語です。主人公の木山は六年生で、同じクラスの河辺、山下といつもいっしょに遊んだり、登下校したりしています。ある日、河辺は「死」について興味を持ちます。死にそうな人が死ぬところを見てみたいと言い、近所のよぼよぼなおじいさんを観察すると言い出しました。木山と山下は、本当はそんなことをしたくないけど、長い間河辺といっしょにいるので、河辺は一度言い出したら止まらないということをよく分かっていました。
 本当によぼよぼで、今にも倒れてしまいそうなおじいさんは、朝昼晩の食事もコンビ二弁当で、そうじも洗濯もしている気配は全くありません。でもある日、三人がいつもあとをつけているコンビ二への道におじいさんは来ませんでした。その日から、おじいさんの様子がどんどん変わっていきます。洗濯、そうじ、ごみ捨てに料理、今まで絶対やらなかったようなことをやり始めたのです。死に近づいて行くどころか、日に日に元気になっていきます。その様子を見て、河辺はいらいらし、他の二人ももちろん不思議に思いました。しかし、三人が自分の周りをうろうとしているのに気が付いたおじいさんは三人に冷たく接したり、からかったり、家事を手伝わせたりなど、うまく三人を利用し始めました。
 でも、夏休みが始まってしばらくたつと、三人はおじいさんの家に行くのが楽しみになっていました。庭に物干しを作ったり、コスモスを植えたり、一緒にすいかを食べたり、花火を見たり、お好み焼きを食べたり、気付けば、楽しい思い出ばかりになっていました。サッカーの夏合宿で、おじいさんへのおみやげに買ったカエルのぬいぐるみを持ち、いつものように会いに行ったある日、おじいさんは居間で寝ころがっていました。いつものように昼寝しているんだろうと思った三人はおじいさんの家に入って行った瞬間、三人はおじいさんが寝ているのではなく、死んでいるのに気付きました。満足そうな顔で横たわっているおじいさんの横で、三人はずっと泣いていました。
 私はこの本を読み、自分が死んだら悲しむ人が絶対いるということに気付きました。おじいさんが死んだ時、おじいさんの親せきはそんなに悲しんでいませんでした。それでも木山達が泣いて悲しんでいるところを読んで、死んでも誰も気にしないなんて人はいないんだなと改めて思いました。木山達はおじいさんの喜ぶ顔が見たくて、手伝いをしたり、遊んだりしていました。私も周りからそう思われるこのおじいさんのような人になりたいです。

(『夏の庭 −The Friends−』湯本香樹実著、福武書店新潮文庫


<科学の授業> 担当 TF
科学の授業では、やる範囲を予告します。しっかり教科書を読んで来て、授業に入るようにしてください。充実した時間にしていきたいと思います。