星の少ない星条旗

 昭和20年(1945)の9月2日、東京湾に入ったアメリカの戦艦ミズーリ号には、星の少ない古い星条旗が掲げられました。約百年前(1853)に同じ所に来航した黒船(ペリー艦隊)の旗艦サスケハナ号の軍艦旗です。甲板は上も下も黒山の人だかりで、これからショーでも始まるかのような雰囲気だったといいます。そこへ重光葵(しげみつまもる)外務大臣をはじめ正装した日本の代表者が小船で到着しました。人ごみの中のわずかにあいた所に机が置かれ、「降伏文書」に敵味方が署名をしました。長い戦いはこうして終わりました。(写真※)
 戦いの最後は8月9日から始まったソ連(のちのロシア)との戦いでした。ソ連は日本との中立条約を突然やぶって、満州や朝鮮、そして日本国内である南樺太(からふと)と千島列島を侵略しました。ソ連は日本のポツダム宣言受諾後も、北海道占領を目指して攻撃を続けましたが、南樺太と千島にいた日本軍と民間人が必死に戦ってソ連軍をくい止めました。この戦いで、最後まで仕事を離れなかった南樺太の電話交換手の女性たちなど、多くの人の命も奪われました。
 それから連合国は日本全土を占領し、7年間、軍政をしきました。講和条約(サンフランシスコ平和条約)は昭和27年(1952)になってようやく発効し、戦争が終わりましたが、ソ連は北海道の割譲(かつじょう)などが認められなかったので、この条約に署名していません。だから正確には、日本とロシアとの戦争は終わっていず、今も続いているのです。
 みんなの地図帳の南樺太と千島には国を表す色が塗ってありません。そして樺太の北緯90度線と、千島列島最北端の占守(しゅむしゅ)島とカムチャツカ半島の間にはロシアとの国境線が引かれています。これって大事なことなんです。(下の地図)

重光葵http://d.hatena.ne.jp/kokuda/20090729