シビック

 昭和16年(1941)、太平洋上にいた日本の航空艦隊に「12月8日に予定行動を開始せよ」を意味する電文「ニイタカヤマノボレ1208」を発信したのは、戦艦「長門(ながと)」からでした。この電文によって、ハワイの米軍基地にいた太平洋艦隊が攻撃され、アメリカは第二次世界大戦に参戦しました。
 大戦に勝利したアメリカは昭和21年(1946)、この長門ビキニ環礁(かんしょう)で行われた世界最初の水爆実験の標的(ひょうてき)にしました。この水爆は、瞬時に14万人の日本人の命を奪い広島を廃墟にした原爆の約千倍のエネルギーでした。ところが長門は爆心地から1500メートル離れていたとはいえ、ほとんど無傷でした。3週間後、距離も爆心地から1000メートル以内に近づけて、もう一度標的にしました。爆発と同時に、近くにいたアメリカの戦艦は吹っ飛びましたが、長門は少しかたむいただけで、4日間浮かんでいました。2度の水爆に耐えた長門アメリカの意図とは逆に、日本人に自信を取りもどさせる結果になりました。
 昭和45年(1970)12月31日、アメリカで自動車の排気ガス規制がきびしく改定されました。(マスキー法)。アメリカの自動車会社は「不可能だ」と、こぞって反対し、4年後にマスキー法を廃止してしまいました。ところが、自動車メーカーとしては無名だった本田技研は、このピンチをチャンスととらえ、昭和47年(1972)にマスキー法にかなうCVCC (Compound Vortex Controlled Combustion=複合渦流調整燃焼)エンジンを発表し、その次の年にCVCCを載せた車「シビック」(写真)を発売しました。シビックは世界の車を変え、きれいな排気が車の条件になりました。
 長門が水爆でも沈まなかったのは、蓄(たくわ)えた造船技術のたまものでした。CVCCの成功は戦前からのエンジン開発の蓄積でした。蓄積はふだんは目に見えませんが、ピンチをチャンスにも変えてくれます。今年もあとわずか。みんなは今年どんな蓄積ができましたか。
(写真はホンダオートテラス)


※生徒作品は別項



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