百年後のお礼

 昭和60年(1985)の3月17日、イランとイラクは戦争をしていて、イラクサダム・フセイン大統領は48時間後から、イラン上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する、と宣言しました。イランにいる人は死の危機にさらされました。外国人はそれぞれの国から輸送機などが送られ、脱出を始めました。ところが日本人だけは、日本の法律の壁や日本の航空会社乗員組合の反対などのため、日本から救援機を送ってもらえず、死が目前に迫っていました。
 日本大使館では各国に救援を頼みましたが、どの国も自国民の救済に手いっぱいで、日本人に力を貸してくれる国はありませんでした。「万策尽きた」日本人は日本大使の個人的なつながりからトルコ大使に頼んだところ、トルコ政府はトルコ航空の旅客機を2機出してくれ、自国民に優先して、取り残された日本人215人を乗せてくれました。
 関係者がトルコ側にお礼を言うと、「エルトゥールル号のお礼です。」という返事が返ってきたそうです。エルトゥールル号は、明治23年(1890)日本を親善訪問したトルコの軍艦で、帰りに和歌山県沖で遭難(そうなん)しました。乗っていた609人のうち540人がなくなりましたが、69人は地元の人たちに救助されました。遺体は丁重に葬(ほおむ)られ、生存者は手厚い看護ののち、明治天皇用の軍艦2せきでトルコまで送りとどけられました。トルコではこの事を子供のころから、いろいろな場で教えているので、国民みんなが知っているそうです。語り継がれた100年前の歴史のおかげで215人の日本人の命が救われたのです。
 私たちの多くも、自分の国でない所に住んでいるという点では同じです。今度は私たちがトルコの好意を語り継ぐ番です。去年の4月から始まった、みんなの一年も100年後まで語り継がれるでしょうか。楽しみにしながら、今年度の中学部通信を終わりたいと思います。
(写真は卒業式当日の中三の教室)
救出―日本・トルコ友情のドラマ (人と“こころ”のシリーズ) 参考→http://www.sof.or.jp/jp/news/151-200/178_1.php


<保護者のかたへ>
 1年間、様々なご協力、ありがとうございました。4月から生徒は進級して、新しい学年が始まります。教職員一同、新学年にどんな出会いが待っているのか、今からわくわくしながら待っております。私たちも心新たにがんばります。生徒が、また一歩、大人への道を歩んでいけるよう、引き続き精いっぱい手助けしていきたいと思います。来年度もよろしくお願い申し上げます。


4月4日(土)‥入学式・始業式 「進学、おめでとうございます」


※生徒作品は別項



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