節分の豆の数

 節分には、鬼よけに、いわしの頭のついた串(くし)と、ひいらぎを門口(かどぐち)にさすので(写真上)、夕食はいつもいわしの煮物でした。炒(い)った豆を真っ暗な神社にそなえに行ったあと、門口から見えない鬼に向かって「鬼は外、福は内」と、となえながら豆をまきます。
 それから、家族が集まって年の数だけ豆を食べるのですが、末っ子のぼくは何年たっても最少でした。世の中には人の力ではどうにもできない厳しい現実があることを悟らなければならない夜でもありました。さびしさとくやしさをかくせないでいると、毎年最多の祖母は数え切れないほどの豆をくれます。「苦しい時の神だのみ」とひやかされながら、ところどころこげた、ほろ苦い豆とともに、ことばの意味をかみしめます。
 受験生の神だのみは、神社なら天神さん、お寺なら文殊(もんじゅ)さんでしょうか。天神さんは、遣唐使廃止(894)を進言した学問の神様、菅原道真です。左遷(させん)されて大宰府で死ぬと、都では天災があいつぎました。粗末にした道真の怨霊(おんりょう)のせいだと思われ、ゆかりの地にまつられました。文殊さんは、剣をかざして獅子(しし)に乗る勇ましい姿の文殊菩薩(ぼさつ)です。剣はものごとを正しく切り分ける、さとりの知恵の象徴です。
 入試は、節分の豆とちがって、自分の力で現実を切り開くチャンスです。神だのみをしてもしなくても、人の努力で、どうにでもなるところがおもしろいと思いませんか。
(左は太宰府天満宮。右は文殊菩薩像)
   :W150  


<今日の学習と宿題>
(省略)

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