甲子園の土

 初めてアメリカに来た時、母がスーツケースにそっと入れてくれた柿の実を空港の入国検査で捨てさせられました。知らなかったとはいえ、母の真心まで捨てられたような悔しい思いをしたアメリカ生活第一日でした。
 昭和33年(1958)、日本中の心ある人が、もっと大きな悔しさをかみしめました。お寺が主催する温泉旅行しか、旅行らしい旅行をしたことがない風呂屋(銭湯)のおばあさんも「かわいそうに、かわいそうに」と涙を流していました。
 その夏、高校野球に戦後初めて、沖縄県代表で首里高校が出場しました。日本中が声援を送りましたが、1回戦で敗れました。選手たちは、みんなやっているように甲子園の土を手で集めてバッグに入れて、来た時と同じ長い船旅で那覇まで帰りました。ところが、沖縄に上陸する直前、せっかく持ち帰った甲子園の土を、海に捨てさせられました。昭和27年(1952)、日本の大部分は占領を解かれましたが、沖縄県は解かれず、アメリカ領でしたから、「外国」から土を持ち込むことは出来なかったのです。
 風呂屋のおばあさんの思いが通じたのか、まもなく、沖縄線のスチュワーデスが、甲子園の小石を野球場のダイヤモンドの形にならべておくったとか、だれかが甲子園の土を混ぜて壷を焼いておくった、というニュースが子供にも伝わってきました。
 沖縄に甲子園の土を自由に持って帰れるようになったのは、それから20年後。昭和47年(1972)のあさって、5月15日。沖縄が復帰してからでした。


<今日の学習と宿題>
(省略)

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