もう一度!
-さくらなみき物語(4月14日号)の続き-
桜が全部焼却されても、ワシントンに桜並木を作ろうという情熱は失われませんでした。
東京市は、桜をもう一度おくることにしました。こんどは虫がつかないように、農商務省農事試験場園芸部(静岡県)の指導で、万全を期しました。まず、台木1万5千本が、すぐれた果実苗木(なえぎ)の産地だった兵庫県東野(今の伊丹市)で育てられました。東野では1年がかりで育った台木を青酸ガスで消毒しておさめました。この台木に、東京の荒川つつみの桜がつぎ木され、健康な苗木ができあがりました。苗木はさらに1年間そだてられ、また消毒されたあと、6千40本がえらばれ、明治45年(1912)2月、横浜港からアメリカに送られました。
3月26日、2度目の桜がワシントンに着きました。マーラットたちの検査にも合格し、27日、最初の桜が植えられました。シッドモアがタフト大統領夫人に手紙を出してから8年たっていました。桜の半分は高峰譲吉らの待つニューヨークに送られ、ハドソン河岸などにも植えられました。
木は、植えて終わりではなく、たえまない手入れで花を咲かせます。多くの人たちの熱意としんぼう強い努力の結晶ともいえる、ワシントンとニューヨークの桜並木は、もう100年近く育てられ、アメリカの春をいろどってきました。でもそのはじまりは小さなお花見からでした。それよりも、その前にシッドモアやタフト夫人が日本で接した、きびきびと走る人力車夫や、楽しく働く海藻とりの家族がいなければ、桜ずきのアメリカ人は生まれず、桜並木は無かったでしょう。私たちもきっと、そんな桜並木を作る力になれるはずです。
(上の写真は東京大学蔵)
さくらなみき物語(4月14日号)→http://d.hatena.ne.jp/kokuda/20070414
■<今週の学習と宿題>
(省略)
●来週5月5日‥全国標準学力テスト(算数、理科)、育英オリンピックが続きます。