タミフル

 むかし、「江戸わずらい」という原因不明の病気がありました。さむらいから町人まで、江戸で生活している人だけが立ち上がれなくなり、やがて死んでしまうという奇病(きびょう)でした。明治になって、この病気は脚気(かっけ)とよばれ、特に新しくできた軍隊で猛威(もうい)をふるいました。白米(はくまい)をたべて、ほかにあまり栄養をとらない兵士が脚気になることが分かって、海軍では、食事を洋食中心に変えたところ、脚気が無くなりました。陸軍でも、現場の軍医たちの意見などで玄米食を取り入れたりして、無くなってきました。
 ところが、ドイツで細菌(さいきん)が発見されたことから、医学校の先生が、脚気も病原菌だと言いました。明治21年(1888)に医学校出身の北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)が実験をして否定しましたが、先生に逆らったとして、無視されました。
 明治27年(1894)の日清戦争では、海軍はむぎめしを採用し、脚気は出ませんでした。病原菌説にしたがう陸軍では白米を続けました。そして、戦死者453名の約10倍の4064名が脚気で死にました。10年後の日露戦争では、病死3万7200余名のうち2万7800余名が脚気でした。戦死4万8400余名の中にも脚気がたくさんいたのではないかと言われています。
 脚気の病原菌説は、鈴木梅太郎明治44年(1910)、米ぬかからオリザニンを発見して、完全に否定されます。脚気オリザニン不足からおこったのです。「あやしい」と分かってから、20年以上もたっていました。この間におおぜいの人がなくなりました。白米を食べる習慣は江戸時代に始まりましたが、白米を食べられない田舎の人は脚気にかかりませんでした。
 今、インフルエンザの薬、タミフルを飲んだ子供が高いところから飛びおりるなど、原因不明の死が報告されています。タミフルはほかの薬よりも優れたききめのある治療薬(ちりょうやく)ですが、副作用ではないかともいわれています。原因不明でも「病気」を克服した明治の海軍の智恵に習いたいと思います。
(写真は海軍の脚気を克服した高木兼寛。のちに成医会講習所(慈恵医大の前身)を設立する。)


[rakuten:komeyafukuchi:492031:image] 白米はいろいろなものといっしょに食べましょう。


<今週の学習と宿題>
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来週5月19日‥授業参観、懇談会