政府専用機

 4月末、日米首脳会談のために、安部晋三首相が政府専用機アメリカに来ましたが、政府専用機は、何かの時にそなえて、必ずもう一機がいっしょについています。
 日本とアメリカの関係は、嘉永6年(1853)6月3日(新暦7月8日)にペリー艦隊(黒船)が江戸湾に現れた時から始まりました。そして、5年後の安政5年(1858)には日米修好通商条約が結ばれました。次の年、この条約の批准書(ひじゅんしょ=承認)を交換するため、二度目のペリー艦隊の旗艦、ポーハタン号(上の図)に乗って幕府の使いが太平洋を渡りました。この時、もう一せきの船として渡米したのが日本の咸臨丸(かんりんまる、下の図)です。
 二つの船をよく見ると、大きな違いがあります。ポーハタン号には船の横に大きな輪(外輪)があるのに、咸臨丸にはありません。咸臨丸は、今の船と同じ、スクリューで走ったのです。
 最初の蒸気船(じょうきせん)は外輪船でしたが、海が荒れている時に、外輪が水面から持ち上がったり、波をかぶって操縦がきかなかったりします。そこで、イギリス海軍では、1829年から船尾(せんび)の水中でプロペラが回る「スクリュー」を採用しました。咸臨丸は黒船より新しい最新技術の船だったのです。
 黒船が江戸湾に現れた次の年には神奈川県浦賀で国産洋式船第一号ができ(早い!)、慶応元年(1865)には佐賀県三重津で国産蒸気船もできて、江戸の技術革新は急速に進んでいきました。

政府専用機http://d.hatena.ne.jp/kokuda/20080322


<今週の学習と宿題>
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