菊水の紋(もん)

 2学期の歴史の勉強は「イイクニ作ろう鎌倉幕府」から始まりました。「幕府」の「幕」は戦場の陣地に張る「幕(まく)」です。戦いでは、敵味方をはっきりさせるために、幕(まく)や幟(のぼり)に自分たちのしるしをつけました。この「しるし」はみんなの家にもある「家紋」(かもん)になります。
 鎌倉幕府は「イザサンザン」に滅びましたが、後醍醐天皇がたの楠正成のしるしは「菊水(きくすい)」の紋(左)でした。楠正成は、今の奈良県の吉野に都を移した南朝で活躍したので、菊水の紋は、のちに奈良県の象徴になったことがあります。さらに、この奈良県の象徴は平成5年(1993)日本とアメリカの草の根交流の架け橋となります。
 昭和2年(1927)にアメリカから日本におくられた1万2739体の青い目の人形のお返しとして、日本中の県や6大都市などからアメリカ各州に、「答礼人形」58体がおくられました。66年後の平成5年(1993)、そのうちの一つ「ミス奈良」(写真)がアイダホ州立歴史博物館にあることが分かり、アイダホ州で修復、展示運動が起こりました。奈良県でもこの動きにこたえて、共同で里帰りさせて修復することにしました。資金は、アイダホ州では一口1ドル、奈良県では一口1000円の募金によりましたが、そのシンボルとしてアイダホ州で採用したのが、ミス奈良の「嫁入り道具」に付けられていた菊水の紋でした。人形の美しさも思い出す菊水の紋は、人形のパンフレットから披露パーティーの招待状まで、いろいろな場面で使われました。
 紋では、徳川家康の「みつばあおい」(中)、織田信長の「もっこ」(右)などが有名ですね。みんなの家の紋は何ですか。ご両親などにたずねて、自分の先祖を思うことこそ、生きた歴史の勉強です。なお、答礼人形は今まで45体が確認されていますが、ニューヨーク市におくられたはずの「ミス東京市」のゆくえはまだ分かりません。


(左から菊水紋、三葉葵紋、木瓜紋
人形大使―もうひとつの日米現代史


<今週の学習と宿題>
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