高松塚というお墓

 古墳時代も後期の7〜8世紀になると大きな古墳が作られなくなり、お棺(かん)を入れる石室も人一人がやっと入れるほどの小さなものになります。日本で初めて彩色壁画が発見された高松塚古墳(明日香村)も、そんな、ごくありふれた小さな円墳の一つでした。
 壁画は国宝に指定されましたが、今、カビだらけになった壁画を修理するために、かぶせた土が取りのぞかれ、石室が解体されています。解体前の調査で、文化庁の人が勝手に壁画に手を入れたり、きずつけたりしても報告しなかったなど、ちゃんとした管理をしていなかったこともわかってきました。
 昭和47年(1972)、壁画を発見した網干善教(あぼし-)関西大学教授は、毎日の調査の前に必ず手を合わせて、お経をとなえていました。当時は明日香のとなりの橿原市(かしはらし)のお寺のお坊さんでもありました。考古学を、龍谷大学で習ったのも、お坊さんの勉強ができるからだったそうです。その網干さんは去年7月に亡(な)くなるまで、石室の解体に反対していました。
 古墳はお墓です。お墓は死んだ人が安らかに眠るための家です。お墓にはお墓を作った人の文化がつまっているので、ピラミッドに残されたものを通して古代エジプトがわかります。古墳を通して当時の日本がわかります。土が取り去られ、お棺を入れる石室がばらばらの「石」にされたら、たとえ壁画が残っても、それでもお墓だと言えるだろうか、そうして残った壁画って‥、と網干さんは思ったのではないでしょうか。
 日本の文化財保護のきっかけになった昭和24年(1949)の法隆寺の火災は、国宝壁画の保存のため、作業をしていた人の電気座布団からの出火が原因でした。高松塚は、もう解体が始まった以上、あとにもどることはできません。網干さんのお墓にきちんと報告できるような結果になってほしいと、いのるばかりです。
(写真は壁画発見当時の高松塚、花井節二さん写す)


<今週の学習と宿題>
(省略)



5月19日号の解答
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