いただきます

 昼休みの個人面談がはじまって、お父様やお母様と楽しく充実した時間を過ごしていますが、残念なのは、みんなといっしょに昼ご飯を食べられないことです。昼食の時間には、授業では見られないみんなの笑顔やいいところがたくさん発見できるからです。
 ご飯の合図は「いただきます」ですが、僕は幼稚園の時、長い「いただきます」を習いました。先生が「しせいをただして」とおっしゃると、座り直して両手を顔の前で合わせます。みんなが静かになると、先生が「かみさま、おひゃくしょうさま、おとうさま、おかあさま、これからおいしいおべんとうをいただきます。」と、おっしゃるのを聞いて、みんなで「いただきます」と言って箸をとりました。「早く終わらないかな。」と思いながら耳をすませていたせいか、いまだにおぼえています。
 「姿勢を正して」が苦手(にがて)だった僕は、小学校に入ると習字を習わさせられました。長い「ものさし」を首の後ろから背中にさしこまれ、背筋をのばして正座する事から教えられました。竹のものさしのひやっとした感覚が背中になじんでくると、足のしびれが襲(おそ)ってきます。習字は、字を書く前から姿勢を正して墨(すみ)をする、がまんと忍耐の時間でした。
 おかあさんがたが弁当にまでしあげてくれる米は、一つぶも人の手で創造することが出来ません。ひたすら、稲(いね)の持つ生命力にたよって手に入れるしかありません。だから、米は貴重で、幼稚園を卒業しても「いただきます」は「姿勢を正して」言うのだと思います。
 稲の収穫の時、子供は田んぼをまわって、落ちた稲穂(いなほ)を一本一本、さがしました。ひろった稲穂が手でつかみきれなくなると、大人にわたします。どの大人も「これでちゃわん一ぱいだ。」などと言って受け取ってくれました。無くなったかもしれない一膳(いちぜん)のごはんを自分の手で取りもどしたと思うと、とてもうれしくなった記憶があります。
(写真は稲かりの後の落穂ひろい、槻木小学校)


<今週の学習と宿題>
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