在原神社の鉄くず
千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは
を詠んだ百人一首の歌人、在原業平(ありわらのなりひら)が住んでいた所は今、在原神社(写真)という小さな神社になっています。
在原神社の周囲は、戦後長く、くず屋の鉄くず置き場でした。その頃くず屋はあちこちにあって、町を回っていろいろな物を買ってくれました。特に高く買ってくれたのは紙と金属類で、新聞紙や空きカン、錆(さ)びた針金まで買ってくれました。いつの頃からか、在原神社から鉄くずが無くなりました。廃品回収運動が全国的に起こって、くず屋が成り立たなくなり、古物の流通機構がこわれたためだと、あとで聞きました。しばらくして、清掃工場で処理できないほど市のごみが増えて、紙や金属類は「資源ごみ」として出さなければならなくなりました。
静岡市は中部地方の木材が集まる町ですが、日本一のプラモデルの町でもあります。森林を育てるために間引いた間伐材(かんばつざい)や、木材加工の過程で出る木の端(はし)を使って、おもちゃや模型を作ったのがプラモデルメーカーの始まりだったからです。間伐材や木の端を使って、割り箸(わりばし)も大量に作られていました。日本の森が荒れたのは、理由の無い割り箸追放運動などのために、間伐材の需要が減ったのが大きな原因の一つです。手軽なおもちゃだった木の模型は今や高級品になってしまいました。
最近、スーパーでくれるレジ袋(plastic bag)の追放運動が起こっていますが、レジ袋のおもな原料は、石油の精製過程で出る透明の液体、ナフサです。日本の石油は原油で輸入し、精製して徹底的に使っています。石油化学工業の発達は、ナフサからポリエチレンを生み出し、安くて便利なレジ袋が作られるなど、石油は、より有効に使われるようになりました。レジ袋の需要が無かったら、精油所は今も空を汚し続けているかもしれません。廃品回収運動や割り箸追放運動の失敗をまた繰り返そうとしているような気がしてなりません。
(在原神社の写真は「じゃらん」)関連事項→http://www.morikami.jp/cartcan.html
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